Sosya News 郷土は育む

  艸舎ニュースコラム第2弾「郷土は育む」は、鹿児島県青年会館理事黒木正彦氏が5回連載で掲載します。改めてふるさとを見直し、むらづくりの哲学を学びます。


郷土は育む@
 都市的価値観から脱却し農村的価値観に立つ生活様式を再構築せよとの論が浮上してきた。それは農村=むら=郷土の良さを再認識して土に立つ生活様式に立ち返れということを意味している。つまり「価値の再発見による再構築」ということだろう。今、仮に都会に住む都会人から「あなたは草深い田舎に住んでいるが、あなたの住んでいる処のすばらしい所は何ですか」と問われたとき、胸を張って答えることができるか、できずに小さくちぢこまってしまうか―の問題の提起である。
 堂々と答えるためには、ふるさとのすばらしさを認識し、それを己の血肉としなければならない。ではどこにそのすばらしさがあるのだろうか。まず、身近な所の価値の発見がある。身近なところは、衣、食、住の生活ということになる。衣の生活では、ねんねこに着目してみよう。ほとんどといってよいほど見られなくなったが、ときどきデザインを現代風にしたねんねこで赤ちゃんをおんぶしている若い母親に出会うことがある。ねんねこは、一枚の着物にお母さんと赤ちゃんが一緒にくるまっている。ふり返るしぐさをして語りかけることもできる。何よりも母親と子どもの膚がふれ合い歩く方向も同じだ。生活の中から生まれた先人の智恵の所産だ。現代人に警告されている、ゼロ歳から一歳位の幼児期に母と子の膚のふれ合いを取り戻せということと考え合わせると衣の生活において貴重なものが残っており再現できることに気付くのである。 食の生活では、今、広く呼びかけられている「スローフード運動」に目を向けたい。キーワードは「味の多様性」。力点は、@小さな生産者を守ろう 郷土料理を守ろうA子どもを含めた「味の教育」B放っておけばなくなりそうな味を守ろう―である。そうして「ゆっくり食べよう」「一日一回ぐらい家族向き合って食べよう」―を促している。むら生活を見つめると、年間百種類の食物を作る名人と言われる老農もいる。家庭伝統食の代表は「にがごりの炒め」「つけあげ」「豚みそ」。伝統の行事食は「七草がゆ」「あくまき」「ぼたもち」が全国の調査表に記載されている。
 これらはむらの食の代表選手だ。また、放っておくと「煮しめ」はなくなりそうな食であり味である。改めて「煮しめ」を考えてみたい。煮付けと違って、煮しめはふるさとの母や祖母たちの心のこもった家庭の味だ。料理は、煮る、揚げる、焼く、蒸すなどの過程を経てとけ合った一つの味になる。煮しめは趣が違う。とけ合った味ではない。食べてみると、大根、揚げ豆腐、こんにゃく、人参、ごぼう、昆布、しいたけ、さと芋、じゃが芋など、それぞれの色と味が残っている。これは食材の味、色を殺さずに見事に生かしていることだ。加えて全体として調和のとれた雅種に富んだ味となっている。南国ならではの食であり、味であり世界一の食品といってよいものだ。日本型食生活の体系確立の基礎となる食であり味だ。
 住の生活では、一軒一軒の家の構造が、人と人がふれ合う場だった「縁側の機能」を残し、隣、近所と仲よくできる構造が温存されている。一軒一軒の家が仲良くなるむらづくりの基本を具現しているのである。(黒)

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郷土は育むA
 ふるさとづくりの名言といえるものに「ふるさとのすばらしさを十分に認識して、そのすばらしい所をさらに高める努力を怠らぬ限り、ふるさとは前へ高く進む」―がある。すばらしさの認識は、価値あるものに気付くことである。衣、食、住の身近な所にある価値の再発見に加えて「残っているのは合理的である。残るだけの理由があるからのこっている」―というとらえ方が大切になってくる。江戸時代からそのままではないかと思われるほどのものが残っている伝統の行事、民族芸能、生活習慣、生活用具、格言、ことわざ(農業伝承、生活伝承、教育伝承)、節気ごとの歳時の行事などをよく見つめると、現代にも通用する合理性がある。田植え前の溝さらえは水の流れをよくするだけでなく環境保全であった。それはむら仕事≠セった。昔の人たちは仕事と稼ぎを区別していた。稼ぎは生活し食うためのもので、仕事は地域全体のみんなのために汗を流すことだった。稲刈りがすんだ後のむら祭り≠ヘ、むらの文化の総結集であった。加えて祭りの前日までに段取りよく仕事の工面をして、その日は完全休みにしていた。これはむら生活の節目であった。民族芸能も披露されたが、民族芸能は、農村・農民の生活の中から生まれ、生活そのものであった。単なる見せ物でなく、生活の中の楽しみであり、明日への元気づけであった。格言・ことわざでは農業伝承として「秋の夕焼け鎌をとげ」は(明日は晴天、鎌といで稲刈りに備えよ)―の教えであり気象の短期予測だ。生活伝承では「牛は後に、馬は前に立て」(牛は後足で横に蹴るので尻尾の後に立てば安全。馬は後に蹴るので前に立てば危なくない)。木もと、竹うら(薪を作るとき木を割るが、根元の方を上にして斧を入れるときれいに割れる。竹は末(うら)方に鉈を入れると見事に二つに割れる)神さあ仏さあに上げてからいただけ(到来物が届いた時すぐ食べるのでなく神、仏様に上げてからいただけ―暮らしの中の感謝の心だ。
 教育伝承は人間が生きていくうえの大事な教えだが、日常の語り言葉での戒め、励まし、しつけである。郷土の代表的なものに「負けるな うそをいうな 弱いものをいじめるな」―がある。競うということもあるが何よりも己の弱い心に負けるなーである。うそをいうなは、「天の道」と大きくかかわっている。春から夏へ、秋から冬へ。水は高い所から低い所へ―という自然現象を見ると"うそ"はない。欺くこともない。そこにあるのは真事(まこと)である。したがって天の道は誠である。真実に生きよ、誠実に事に当たれの教えだ。弱いものをいじめるな―は、郷土の伝統的な「博愛慈悲」(広く愛し、いつくしむ)の心だ。これらの三つのことわざを別々でなく融合してとらえた人生の教えだ。
村落共同体の形成に大きな役割を果たしたものに「講」がある。田の神講、山ン神講、日待講、秋葉講(あっかさあこう)などだが、共通しているのは、まず講衆が集る(仲間づくり)→話し合う(なごんだ雰囲気)→何かを決める(共通合意)→必ず実行―という手順が自然に行われていた。村落共同体の良さが残った要因の一つである。(黒)
 

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郷土は育むB
 南北六00キロメートルの県土は、冬が短く、春が早くくる。間もなく夏になり、長く続く秋となる。長期間の秋は沢山の作物が育つ。風土形成の特質だ。雪の多い北国とは異った趣がある。北国のような厳しさはない。それだけに事に当たり「てげてげ」の気質を生んだといわれてきた。完全否定はできないが、困難に直面した時、それから逃げずにまっすぐ見つめて、明日への希望につなぐという「南国特有の楽天性」も育った。どっこい生きているという“ねばり”もあったのである。
 「風土は精神に影響する」といわれるがそれは家庭における歳時の行事の中からも培われたといってよい。節気ごとの家庭の行事だが、大切に考えたいのは、どの歳時にも「家内安全」「無病息災」「五穀豊穣」「報恩感謝」が必ず含まれていることである。お彼岸、お盆の歳時行事を考えると殆どの家庭で彼岸だんご、お盆の精進料理を作る。できあがったとき、家族みんな集まり、すぐ食べようということにならない。彼岸だんごなら、それを小皿の上に二、三個のせて、仏壇や神棚に供える。このあとみんなで食べるのがならわしとなっている。それは彼岸というこの日まで家族みんなが元気で過ごせたのはご先祖様のおかげですという意味のお供えである。おかげさまで―という報恩感謝を正座させて説教するのではない。ごく自然の雰囲気の中で行われる。歳時の行事による家庭の雰囲気づくりといってよいものだ。家庭教育は雰囲気から入る教育ということと考え合わせると、歳時の行事の重みを考えさせられるのである。歳時の行事を大切にする家庭の雰囲気の中で育つ子どもは、心豊かな人間に成長していくことは論ずるまでもない。「ありがとう」「どうぞ」「すみません」そして「おかげさまで」とごく自然に言えるようになれば人間、一人前だといわれる。歳時の行事は、おかげさまでという人間の謙虚な心と心のふくらみをもたらすものだといってよい。利己的マイホーム主義が一般化した今日の世相の中で「おかげさまでの思想」が歳時の行事を通して温存されていることは、ふるさとのすばらしさといってよいものである。
 生活用具を見ても、郷土ならではの価値あるものが残っている。使用に便利でしかも民芸品のような素朴な美しさ―つまり「用と美」を兼ね備えた生活用具が残っている。それら全てが家の宝、むらの宝物といってよい。今、仮にスーパーで売っているハエたたきとシュロの葉で作ったハエたたきとを比べてみる。買ったもので、ハエをたたくと、鹿児島の方言の「ガネ ドンジ ビリッ」となる。小さい沢カニを大きな槌でたたくと跡形もないほど粉々につぶれ、腹わたまで飛び出す様の表現だ。シュロの葉で作ったハエたたきを使うとハエは死ぬが腹わたは飛び出さない。どちらが衛生的かは説明の要はない。梅干しの土用干しの時は竹製品のショケ(ざる)を使うが、ここにも合理性がある。
 だからといって、古いもの全てが正当性ではない。地主制の時の下男、下女が復活されてよいことにはならない。物ごとをよく見つめて、判断し選択すること。大切なことは古きを訪ね新しきを知る温故知新の再構築だ。(黒) 

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郷土は育むC
 ふるさとのすばらしさを認識することは、この大地にしっかりと両足を踏んまえて立ち未来を築く種子を確実に蒔くという自身と誇りを培うことになる。土に立つ者の感性は、価値あるものに気づくことだが、その感性を育てるものに「民俗の現代的意義」の理解がある。民俗とは、一般的に古くから伝わる伝統的な風俗・習慣や民間信仰、それに伝説、民話、民俗芸能など広く民俗となっている。この民俗の現代的意義を理解し、現代に生かせば家庭や地域の雰囲気を作り、農村的価値観に立つむらづくりの気運を高める。
 @保健・衛生を教えるもの=民間療法、薬草などへの着目だが、捨てがたいものがある。ハゼまけには栗の葉の煎じ汁にタオルなどをひたし患部をたでる。想像以上によく効く。考えてみると、先人たちが自分の体でたしかめ効くことを確認して伝えたものだ。軽い食当り、じんましんには、白南天の葉の熱湯のふり出しを飲む。健胃にはせんぶりのふり出し(千回ふり出してもなお苦いので、せんぶりという)
 A産業・生活技術を教えたもの=牛は一本の手綱で調教し使役せよ(鼻環の所が最も敏感、手綱を使って信号を送れば右にも左にも動かすことができる)苗をまっすぐに植えるために一本の田植綱で直角を出して、ここを基点にして筋の通った植え方をした(三平方の定理の応用。3;4;5の比で三点を決め三角形を作ると直角が出る)。苗半作。ながしの夕晴れ(あくる日は雨)。カエルが鳴くと雨。谷川の水は急流の所を飲め。なすの花と親の意見は千に一つの空は無か
 B社会性の向上に役立つもの=田ノ神講、山ン神講、日待講(十二夜待ち、二十三夜さあ)秋葉講(あっかさあ)などの講は、むら社会の健康な共同性を育てた。仲間づくり、親睦。なごやかな雰囲気の中の話し合い。そして何かを決め必ず実行していた。むら祭りはむらの文化の総結集の楽しみの日であった。心がつなぎ合わされていたのであ
 C娯楽や体育効果のあるもの=生産と結びついた伝承の遊び(紙の原料となる楮(かうぞ)栽培と結びついたギッチョ)、異年齢の野外炊飯だった「盆がま」。さつまゴルフといわれるハマ打ち。冒険・鍛錬を主にしながら安全と一体となっていた太鼓踊り、鎌手踊り、虚無僧踊りなどが今に伝えられている
 D精神の安定、向上に役立つもの=水神、山神の祭り。鎮守の祭り。朝日を拝み夕日に祈る。いずれも人間を超える偉大なものに対する敬虔な畏れと祈り、感謝であった。節気ごとの家庭の歳時の行事にはすぐれた教育性が内在している。
 このように民俗を見つめてみると、その現代的意義は混沌とした世相に一条の光を照射しているといってよい。現代によみがえらせることで温かみのある家庭、地域の雰囲気を作り生活に深みが増すことになると考えられる。ふるさとは風景画のようにそこに在るものでなく創るものである。郷土は心の中にしっかりと内在しているものである―といわれている。現代人に望まれているものは、心の中にふるさとを確実に根付かせることである。民俗の中に見られる現代的意義の理解と再生は新しいゆいの社会形成につながる。(黒)  

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